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東日本大震災被災地支援バス学生ツアー報告

次代を担う若い世代に被災地に行く機会を提供し、被災地の現状を学び、大阪の仲間に伝えることを目的に、8月22日(木)から25日(日)の日程で、「東日本大震災被災地支援バス学生ツアー」を運行しました。会員大学生協を通じての募集に、大阪教育大学生協1名、大阪電気通信大学生協4名、大阪府立大学生協8名、近畿大学生協2名の学生委員メンバーと、この間の支援バスに参加された組合員のご家族3名(内1名は高校生)の合計18名の学生が参加されました。
8月22日(木)の夜7時に大阪を出発し、翌23日(金)の朝8時25分に、宮城県南三陸町に到着しました。この日は宮城県漁協志津川支所さんを訪ね養殖カキの作業のお手伝いです。午前中は養殖いかだの重石の土のうづくりです。一袋60Kgの土のうを、いかだひとつ分140個を目標に作業をしました。慣れないスコップの扱いと重たい土のうに腕の筋肉はパンパンになりました。約2時間の作業で、目標には届きませんでしたが、120個の土のうを作りました。作業のご褒美に漁船に乗せていただき志津川湾を周遊しました。カキの養殖の行程を学び、自分たちが作業したことがどのようになるのかを知りました。またホタテやほやのいかだも周りました。お昼休憩の後、午後の作業は、カキの種付け用の原版づくりです。ホタテの貝殻への穴あけと、ワイヤーに貝殻を通す作業です。夜行バスと午前の作業の疲れから来る睡魔と闘いながら頑張りました。3時に作業を終え、カキ部会の遠藤部会長の案内で南三陸町の市街地をバスで周りました。建物の土台から整理し更地化する町、地盤沈下で海水に浸かっている地域、骨組みだけの姿の防災対策庁舎、街を一望できる丘で震災前の同じ場所からの写真との見比べ等、変わり果てた町の姿に言葉が出ませんでした。ホテルの夕食では志津川支所カキ部会の遠藤部会長、行場副部会長、佐々木さんと一緒に今日一日の感想を交流しました。
8月24日(土)は、朝8時20分にホテルを出発し、午後1時に福島県広野町に到着しました。今日一日案内をしていただく隣町のいわき市に拠点がある「3・11被災者を支援するいわき連絡協議会(通称 みんぷく)」の方と合流し、楢葉町、広野町、いわき市を周り、被災の状況や復興の現状についての見学と、復興商店の「浜風商店会」に立ち寄り、被災当時の写真を見ながらの語り部。また、バスの車窓から仮設住宅の状況を視察し、みんぷくさんの事務所で被災者支援の活動や防災減災についての学習を行いました。避難指示解除準備区域の楢葉町は原則として寝泊まりが出来ない地域で、住民の方は昼間だけ家の片づけ等で戻ることが出来る地域です。津波に壊された家、流された車や倉庫、人が戻らず雑草まみれの家など、震災当時のままの姿や2年半放置された町の様子に恐怖すら感じました。またみんぷくさんでは一旦崩壊した地域コミュニティを、もう一度作り直すために活動されていることに感銘を受けました。
短い期間でしたが、被災地の現状を知り、自分たちの日常とかけ離れ、日本で起こっている現実の姿に、今一度被災地に対し私たちが出来ることは何か考える機会となりました。
次代を担う若い世代に被災地に行く機会を提供し、被災地の現状を学び、大阪の仲間に伝えることを目的に、8月22日(木)から25日(日)の日程で、「東日本大震災被災地支援バス学生ツアー」を運行しました。会員大学生協を通じての募集に、大阪教育大学生協1名、大阪電気通信大学生協4名、大阪府立大学生協8名、近畿大学生協2名の学生委員メンバーと、この間の支援バスに参加された組合員のご家族3名(内1名は高校生)の合計18名の学生が参加されました。
8月22日(木)の夜7時に大阪を出発し、翌23日(金)の朝8時25分に、宮城県南三陸町に到着しました。この日は宮城県漁協志津川支所さんを訪ね養殖カキの作業のお手伝いです。午前中は養殖いかだの重石の土のうづくりです。一袋60Kgの土のうを、いかだひとつ分140個を目標に作業をしました。慣れないスコップの扱いと重たい土のうに腕の筋肉はパンパンになりました。約2時間の作業で、目標には届きませんでしたが、120個の土のうを作りました。作業のご褒美に漁船に乗せていただき志津川湾を周遊しました。カキの養殖の行程を学び、自分たちが作業したことがどのようになるのかを知りました。またホタテやほやのいかだも周りました。お昼休憩の後、午後の作業は、カキの種付け用の原版づくりです。ホタテの貝殻への穴あけと、ワイヤーに貝殻を通す作業です。夜行バスと午前の作業の疲れから来る睡魔と闘いながら頑張りました。3時に作業を終え、カキ部会の遠藤部会長の案内で南三陸町の市街地をバスで周りました。建物の土台から整理し更地化する町、地盤沈下で海水に浸かっている地域、骨組みだけの姿の防災対策庁舎、街を一望できる丘で震災前の同じ場所からの写真との見比べ等、変わり果てた町の姿に言葉が出ませんでした。ホテルの夕食では志津川支所カキ部会の遠藤部会長、行場副部会長、佐々木さんと一緒に今日一日の感想を交流しました。
8月24日(土)は、朝8時20分にホテルを出発し、午後1時に福島県広野町に到着しました。今日一日案内をしていただく隣町のいわき市に拠点がある「3・11被災者を支援するいわき連絡協議会(通称 みんぷく)」の方と合流し、楢葉町、広野町、いわき市を周り、被災の状況や復興の現状についての見学と、復興商店の「浜風商店会」に立ち寄り、被災当時の写真を見ながらの語り部。また、バスの車窓から仮設住宅の状況を視察し、みんぷくさんの事務所で被災者支援の活動や防災減災についての学習を行いました。避難指示解除準備区域の楢葉町は原則として寝泊まりが出来ない地域で、住民の方は昼間だけ家の片づけ等で戻ることが出来る地域です。津波に壊された家、流された車や倉庫、人が戻らず雑草まみれの家など、震災当時のままの姿や2年半放置された町の様子に恐怖すら感じました。またみんぷくさんでは一旦崩壊した地域コミュニティを、もう一度作り直すために活動されていることに感銘を受けました。
短い期間でしたが、被災地の現状を知り、自分たちの日常とかけ離れ、日本で起こっている現実の姿に、今一度被災地に対し私たちが出来ることは何か考える機会となりました。